自分では笑い事だけど、周りには恥ずかしくて嘘を作り、仮面を被った。
結果、馬鹿にされた。
常に自分が悪いと思い込まされ、単純に正しくても意見は通らなかった。
元気の出る曲を聴いて、自分を励ますだけ。それだけが心の支え。数々の女性やお金の揉め事を起こしつつ。
そうやって自分は必死でガス抜きしてたんだと今思えばそうだろう。
『仲間』だから伝えるとかそういう意味のわからない根拠のない事実に左右されながら、必死で出口を探し求めた。
そうした結果たどり着いた。
「結局は他人」
拭えなかった。自分がどうして悩んでいて、それを考えて。そんなアニメのような性格のいい奴なんて結局は幻想で、自分のことしか考えてない考えられない人だけだった。
確かに成功してからようやく他人なのかもしれない。でも成功してないからお前が本当に正しいのか分からなくない?こうして、疑心暗鬼に雲を掴むような手探りで仕事を毎日出勤して過ごした。
あれはあれで地獄だった。
苦難を乗り越えて、、っていう次元を超えてむしろマイナスだった。これが正しいなんてないけど、でもこうじゃないか?って答えが出て、実践した時結果がちゃんと帰ってきた。
やはり仕事に全振りしていくうちに周りを切り捨てなければ、必ず自分の思い通りの結果には近づかないのだろう。
そう感じた。
家を出た結果やはり自分が他人に費やす時間が長すぎて、自分のことがむちゃくちゃだった。
それが良くないのだろう。
自分のことを考えるべきだけど、他人も足並み揃えて、、これは日本の教育がよくないのだろうか?
その理論を正しいと呼ぶのであれば、大学や、国家試験はどうだろう?補欠合格なんてあるだろうか?
点数を低くしてまで合格者数を増やす必要があるだろうか?落ちる人は落ちる。つまりそこが知らなければならない現実だった気がする。